「Fight or Flight」(その2)

※ この投稿は、2019年9月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

このとき、僕はHくんの顔を直視出来なくなっていた。彼は、穏やかにセッションを進めていただけだ。にもかかわらず、僕が勝手にパニックになっているのだ。

どうしたんだ。
自分に何が起こっているんだ。

たぶん、そういう思考が駆け巡っていたせいで、僕は思考の言葉を連発していたのだろう。Hくんは落ち着いて

「そのときの身体の感覚はどうですか?」

と、僕の意識を、思考から感覚に向かうように促す。

僕は身体を落ち着かせることが出来ない。Hくんから身体の軸をはずし、斜めにずらし、前屈みになったり、右側に折れ曲がったりして落ち着かない。身体の中はずっと小刻みに震えている。そして僕が右手で「祓う」動作をしたところをHくんは見逃さなかった。

「その手は何と言っていますか。」

しばしの沈黙の後、僕はこう言った。

「『お前なんかにわかるはずがない!』と言ってます。」

かなり強い口調で言ったと思う。なので、すぐに補足した。

「あ、Hくんに対して言っているんじゃないですよ。
『世界』に向けて言っているんです。」

が、本当はそうではなかった。
もちろんHくんに言っているのではない。
が、世界に言っているのでもない。

僕は「Hくんを通じて、僕が感じている何か、もしくは誰か」に向けて言っていた。

この後も濃厚なセッションが続き、15分なのに、50分もやったような感じで、時間切れでセッションは終わった。

・・・

「どうせわかってもらえない」
「僕は世界を拒絶している」

このビリーフが僕の中に深く根付いていることは自覚している。今回のセッションでも期せずして、僕のこの世界観が表出したのだが、今までと決定的に異なっていたのは、僕の身体が強く反応していたことだ。動物が命の危険にさらされたときに本能的に行動する「Fight or Flight」(相手に立ち向かって戦うか、疾走して逃げるか)反応が自分に起こっていたように思う。ただし戦う選択肢はなかった。僕はあのときただただ「逃げたかった」。

・・・誰から?Hくんから。

最初に言ったようにHくんとはお互い見知った仲だ。セッション中はもちろん、個人的にも彼が僕を脅かすようなことは何もしていないし、利害関係もない。むしろ彼はすでにプロのセラピストでもあり、尊敬しているほどだ。

なので、僕が逃げたかった相手、恐怖を感じていた相手は、Hくんではなく、Hくんに投影していた僕の心の中の誰かだ。心理療法的に言えば、まっさきに思いつくのは「父」だが「どんぴしゃ」という感じはしない。

「どうせわかってもらえない」よりも先鋭な「お前なんかにわかるはずがない!」という言葉は、僕が「わかるはずがない」と堅く信じ込んでいる「相手」がいることを示している。それはいったい誰なんだろう。

(終わり)