※ この投稿は、2020年10月3日にFacebookに投稿した記事の再掲です。
「今のこの自分で生きていくこと」
それがここ最近の僕のテーマ。
意識して心の学びに取り組みだしたのは3年前からだが、意図せず、あけみちゃんと出会った10年前から心の学びは始まっている。
10年の歳月、僕の心の学びは遅々として遅く、劇的な変容も今なお経験していない。深く刺さった心の大きな棘が抜けたときに起こる号泣もない。それでも僕の変容は、少しずつ、少しずつ進んでいる。たぶん、休むことなく。
10年前から、心の深いところを見通せる人からは「感情を強く抑圧しているね」「苦しそうだね」と言われてきた。そのときは「え?そうなんですか?」と自分は全く無自覚だったが、心の学びの過程で「強大な怒りを強く抑圧しているが故に感情全般を抑圧している自分」と「そのことで苦しんでいる自分」について理解はしている。
が、今なお抑圧がはずれることはなく「感情を抑圧していますよね」とか「苦しそうですね」と、ときどき人に言われる。
そんな僕が行うカウンセリングセッションは、やはり抑制的だ。感情の蓋がはずれることはなく、理性が飛んでしまって、セッションで自分に何が起こったのかわからなかったなどというクライアントはいない。
ただそれでも、心の蓋の隙間からにじみ出る涙に気づいて、何かを得るクライアントは多いし、理性を保ちながら、今の自分に何が起こっているのか、クライアントが自分自身への理解を深める助けになるのが、今の僕のセッションだ。
抑圧が抑圧とわからない程に、自分を抑圧している僕には、感情を抑圧している人、理性が自分自身だと思いこんでいる人の気持ちはよくわかる。同じところをグルグルしている人に呆れることもない。僕はグルグルの先輩だ。少なくとも10年グルグルして、今なお継続中なわけだから(笑)。
その一方で、「何を言っても大丈夫な感じがする」「謎の安心感がある」などともずっと言われてきた(笑)。これは自分のもって生まれた特性だろう。自分が傾聴がうまいとはとても思えないが、テクニックではない「話しやすい雰囲気」を、僕がもともと持っているのだろうと受け止めている。
経営に詳しいとか、魔女のようなスーパー・センスがあるとか、お金のことは任せておけとか、そんなとんがった特性は、僕には何もない。
そんな何もない自分だが、それでも今まで生きてこれたし、たぶんこれからも生きていけるだろう。何も持っていなくても幸せを感じられるし、現に幸せだ。
そんな自分で生きていく。
たぶん、僕が人に伝えられる唯一のこと。
今の自分で生きていく。
・・・大丈夫だよ。