働かなくて済む、というメリット

※ この投稿は、2020年8月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

ここ何ヶ月も「動かない自分」をテーマにしている。「お金が回らない」「そもそもお金を回すように動かない」「動こうと思う気持ちがない」手を変え品を変えやっている。セッションを受けるごとに、手応えを感じつつも、今もって動けていないのが現状だ。

昨日から、ゲシュタルト療法の講座が始まって、他の受講者のワークを拝見する機会があった。それは自分の嗜好癖をやめたいと思うがやめられないというテーマだった。

ファシリテーターは、「それはやめないメリットがあるからだよね?」と言って、メリットを挙げてもらっていた。僕はそれを見ながら、ああ、僕の場合も「動かないメリット」が大きすぎるんだ、と今更ながら気がついた。

・働かなくて済むのは楽である
・働かずに人と接しないで済むのは楽である
・働かずに会いたい人にだけ会うのは楽である
・働かずにぼーっとしているのは楽である
・節制を意識しつつも、結局欲しいものは手に入れられるのは楽である
・いつまでもこんな暮らしは続けられないと言いつつも、今日明日こんな暮らしが出来るのは楽である・・・

メリットが大きすぎるんだということは、ある時期から気づいていた。だが、今の今まで「まだ他人事」だった。もう少し踏み込まなければいけないのだ。僕は「自分のことを他人事にする天才」である。自分ごとにするためには、僕が「何を大切にしているか」まで踏み込まねばならない。それも自分が信じている(と思っている)価値観からではなく、自分の行動の結果を客観的に眺めての判断で。

・人と接したくない(会いたい人と会いたいときだけ会いたい)
・ぼーっとしていたい(面倒なのは嫌)
・欲しいものは楽して得たい(それ以外は我慢する方がいい)

。。。(-_-;)

がっかりするほどダメ男だが、これが「今の自分」なのだ。そして、「いつまでこんな自分でいたいの?」と問うてみると、なんだか泣きそうな(泣かないけど)自分が感じられる。たぶん、これはインナーチャイルド。ここだなー、見るところは・・・。