そろそろ動こう

※ この投稿は、2020年9月1日にFacebookに投稿した記事の再掲です。

昨日、自分の心の奥底の部分に触れる機会があった。

そして何度も見たことのあるインナーチャイルドに再会した。
彼は相変わらず怒りに燃えていて
彼は相変わらず世界を信用していなくて
彼は相変わらずすねていた。
怒りによって護られた、心の深い奥底に、本当の望みがあるのだろう。
けれど、そこには未だ届かない。
拒絶こそしなくなったけど、この子は相変わらず不機嫌で怒ったままで、どうしたら笑ってくれるのか、どうしたら心をひらいてくれるのか、未だもってわからない。
・・・
あー、でも、もういいや。
変わりたくないんだよね。
信用出来ると思ってないし、信用したくないんだよね。
じゃあ、もういいじゃん。
・・・
見捨てるわけじゃない。
諦めるわけじゃない。

いや、諦めるんだけど、それは「そのままでいいじゃん」という風に受け入れることでもある。

「そうやって変わらないことを選択しているんだね」
「同じところをぐるぐるしていたいんだよね」
実体のない外部の声が自分の頭の中でこだまして、そんな自分を「ダメ」と言われているように感じる。
人と比べてもしょうがないと思いつつ、自分にも大きな変容が訪れるときが来ないのか、とか、号泣する日が来ないのか、とか、すごい出会いがあって、劇的に日常が変わるときが来ないのかとか、言葉にすると恥ずかしいことだけど、でもそんな思いにずっと囚われている。
「そうやって、出来ない理由をたくさん並べ立てているんだね。」

そう言われると、目が覚めるより、がっかりする。出来ない理由を並べ立てるのが、僕自身のデフォルトのように感じるからだ。そうですね、そうやって僕はやらないことを選択し続けているんですね、と。

カウンセラーとして突出した何かを持ちたいと思ってきた。それが自分の名刺代わりになるし、人を呼び込みやすい。けれど、僕は、何かに特化することに専心出来ない感じがしているし、むしろ一つのことすら、ゆっくりとじっくりとでないと、習得できない感じだ。自分で思っていたより不器用だということだ。

コロナをきっかけに引きこもってみたが、あまりに快適で、このまま一生行けそうだった。何かしたいというストレスがたまってあふれてくるかと期待したが、むしろ、何もしたくないという自分を確認するばかりに終わった。

だから。
もうこんな生き方は終わりにしよう。

怒りを抑圧したままでも、魂の望みはもう知っている。それがビジネスとして成功するイメージは持てないけれど、そもそも自分が成功するということを信じていないのだからしょうがない。けれど、やりたいんだからやればいいじゃん。お金は僕の場合、多少の稼ぎがあればいいんだから、バイトを探せば良いんだ(それもなかなか難しかろうが)。

抑圧しているのが僕のデフォルトだ。
世界を信じきれないのが僕のデフォルトだ。
変われないのが僕のデフォルトだ。
抑圧が苦しくてしょうがないわけじゃないし

信じきれなくて友達がいないわけじゃないし

大きな変容の体験がないのは、カウンセラー業としては痛いけど、その分、変わりたいのに変われない人の気持ちはよくわかる。「大丈夫!きっと変わるよ!」とは言えないけど、「無理に変わろうとしなくていいんじゃないかな」とは言えるだろう。「欠陥欠損モデル」の僕は、凸凹のままでいい世界を創りたい人なのだから。

無限の可能性を信じるのではなく、今あるもので生きていくことにとどまろう。何が出来るのかと考えるのではなく、今の自分がしたいと思うことを、今あるものでコツコツとやってみよう。ただ注意深く自分の心の声は聴きながら。せっかくここまで来たのだから、自分自身の魂の望みは自分のために、可能な限り、叶えてあげたい。
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