※ この投稿は、2020年9月1日にFacebookに投稿した記事の再掲です。
昨日、自分の心の奥底の部分に触れる機会があった。
けれど、そこには未だ届かない。
いや、諦めるんだけど、それは「そのままでいいじゃん」という風に受け入れることでもある。
そう言われると、目が覚めるより、がっかりする。出来ない理由を並べ立てるのが、僕自身のデフォルトのように感じるからだ。そうですね、そうやって僕はやらないことを選択し続けているんですね、と。
カウンセラーとして突出した何かを持ちたいと思ってきた。それが自分の名刺代わりになるし、人を呼び込みやすい。けれど、僕は、何かに特化することに専心出来ない感じがしているし、むしろ一つのことすら、ゆっくりとじっくりとでないと、習得できない感じだ。自分で思っていたより不器用だということだ。
コロナをきっかけに引きこもってみたが、あまりに快適で、このまま一生行けそうだった。何かしたいというストレスがたまってあふれてくるかと期待したが、むしろ、何もしたくないという自分を確認するばかりに終わった。
怒りを抑圧したままでも、魂の望みはもう知っている。それがビジネスとして成功するイメージは持てないけれど、そもそも自分が成功するということを信じていないのだからしょうがない。けれど、やりたいんだからやればいいじゃん。お金は僕の場合、多少の稼ぎがあればいいんだから、バイトを探せば良いんだ(それもなかなか難しかろうが)。
信じきれなくて友達がいないわけじゃないし
大きな変容の体験がないのは、カウンセラー業としては痛いけど、その分、変わりたいのに変われない人の気持ちはよくわかる。「大丈夫!きっと変わるよ!」とは言えないけど、「無理に変わろうとしなくていいんじゃないかな」とは言えるだろう。「欠陥欠損モデル」の僕は、凸凹のままでいい世界を創りたい人なのだから。