「内観療法」その2

※この記事は、2019年3月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

そもそも内観に来た目的は、日本発の有名な心理療法である内観療法を体験したかったことと、昨年来やってきた「親子のつながり直し」の仕上げのつもりでした。

あけみちゃん講座(※注)で露呈した「親子間で心的つながりのない荒涼とした内的世界」に直面し、ゲシュタルト療法などの手を借りて、なんとか「親子のつながり直し」は出来たものの、やはり「親子のつながりが希薄」であったのです。希薄でいけないことはないのですが(自分自身何の不自由も感じてないし)、もう少し何とかならないか、という気持ちがありました。

母に対する内観は、3日目の朝に終わりました。「まあ、母はありがたいな」くらいの軽い感じです。次に父に関する内観を進めているうちに、小学生までの自分にしてもらったことが、父だけでなく、母にしてもらったことと合わせて、万華鏡のようなイメージが展開したのです。父と手をつないで砂浜を飛び回っている自分(家に写真がありました)、アイスクリームを口の周りにつけて母に抱っこされている自分(これも写真)、父に肩車をしてもらったこと(記憶)、おんぶ、だっこ、ひざまくら、耳かき、爪切り、お風呂で洗ってもらったこと、湯船に一緒に入っていたこと、父と母にはさまれ川の字に寝ていたこと、同じく父と母と左右の手を握ってもらって外を歩いたこと(いずれも記憶)・・・。

ああ、こんなにもスキンシップをしてもらっていた。こんなにも一緒にいてくれた。こんなにも愛されていた。理屈ではなく、体感覚で暖かいものを感じました。

あけみちゃん講座のセッションで、母の代役をしてもらった女性に抱きしめられても、僕はただだらんとして、抱きしめ返すことが出来ませんでした。

確かに僕は父からも母からも抱きしめられたことはありません。が、ここは日本であり、僕の子ども時代は昭和です。ハグするなどという習慣はありません。日本式のスキンシップの、言うなれば、すべてのバリエーションを僕は両親から与えてもらっていたのです。

中日に個人面談があり、僕は面接者に、この自分の得た感触を報告しました。「理屈ではわかっていましたが、僕は両親に本当に愛されていたなと実感出来ました。とても嬉しいです。ここに来た甲斐がありました。」

もう嬉しくてニコニコしながら報告したら、面接者は表情も変えずにこう言いました。「そうですか。それは『踊り場』のようなものなので、そこに留まらずに、更に内観を深めてください。」

その3に続く

※注:「あけみちゃん講座」
まさおの心の師匠である、岡部明美さんが主催するLPL養成講座