「内観療法」その4

※この記事は、2019年3月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

トイレに「内観を深めるために心がけたいこと」という張り紙があり、「して返したこと」は「相手の負担を軽くしたり、肩代わりしてあげたこと」と書いてありました。

「お父様にお茶を入れて差し上げました」とか「母の荷物を持ってあげました」というのは「して返したこと」になるのですが、「良い成績をとったら親が喜んでくれました」というのは「して返したこと」にはならないのです。それはあくまで自分事だからです。

それで2回目の母の内観をすると「して返したこと」が何も出てこなくなりました。面接のたびに「して返したことは・・・ありません」と答えざるを得ないのです。

小賢しい戦略に走る自分と、何もして返してこなかった自分。
親に対して申し訳ない気持ちが膨らんできます。

そして母の晩年における内観のとき、「して頂いたこと」を面接者に報告しました。

「して頂いたことは、、、『ありがとう』と言って頂きました。。。。認知症も入っていたのですが、母はそれ以外何も言わないのです。老人ホームに見舞いにいけば『忙しいところ、ありがとう』。カラオケバーに連れて行っても、焼き肉屋に連れて行っても『ありがとう』。それしか言いません。」

「・・・しかし、子ども時代の僕は、母にも、父にも『ありがとう』と言ったことは、、、一度もありませんでした。」

内観しても自分は泣かないだろうな。
そう思っていました。
3日目までは、ルンルン気分で楽しく内観を終えられると思っていました。

でもこのときばかりは、少し涙で目がうるみました。
そして、両親に心から「申し訳ありません」という気持ちになりました。

・・・

親子のつながりが希薄なのは、自分のせいでした。
自分から親を遠ざけていたのです。

「して返さない」息子に、親はどう接して良いのかわからなかったでしょう。「おいしかった」とも「それ大好き」とも言わない息子に対し、親はコミュニケーションのとりようがなかったのです。

その5に続く

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