※ この投稿は、2019年3月にFacebookに投稿した記事の再掲です。
グウィンが天に帰ったその日の夜、僕は友人のMちゃんとディナーをしていた。Mちゃんは、9年前に受けたカウンセラー養成講座の同期であり、カウンセラーの先輩でもある。
「まさおちゃん、なんか、しょんぼりしてるよ。」
「そう?精神的に大きく動いたから、消耗しているのかもね。」
この日に体験したグウィンの話をMちゃんにしていた僕は、自分がしょんぼりしていると言われて、そう言われれば、すっきりしたとか、解放されたとか、そういう感じではないな、と気づいた。
楽しくも、とりとめもない雑談をして、お店を出た。
Mちゃんが、
「まさおちゃん、まだ時間ある?良かったら、お茶しない?」と声をかけてくれる。
断る理由もないので、近くの喫茶店に入る。特にもう話すことはなかったのだが、Mちゃんが学びを続けているセラピーの講座の話を聞きながら、僕がぽつんと言った。
「人間って悲しいよね。一生懸命自分に向き合って、一生懸命自分をクリアリングして。それなのに、また傷つき、悲しみ、つらい目に遭い、いつまでそんな体験をしなければならないのか。何が悲しくて人間なんてやっているのかな。」
Mちゃんの目がらんらんと輝きだした。
「それだ!グウィンがいなくなってまさおちゃんの心のふたがちょっと開いて、今まで封じ込めていた『悲しさ』がにじみ出ていたんや。それでしょんぼりしているように見えたんだ。」
「まさおちゃん、わたしの目を見て。わたしはまさおちゃんの悲しみがわかる。同じものを心の底に持っているから。」
Mちゃんの目を見る。Mちゃんの目を通じて、Mちゃんが感じているものを感じ取れる。たくさん傷ついてきた。たくさんの悲しみを体験してきた。それなのに、Mちゃんは、わくわくしている。人生が楽しくてしょうがない・・・。
「それ、どういうこと?」と僕は思わず口にする。
何がどういうことなのか説明もしていないのに、すべてわかっているとばかりに、Mちゃんがますます嬉しそうに言う。
「そうやろ!『それ、どういうこと?』って思うやろ!私はまさおちゃんと同じ悲しみを知っている。だけど、私は世界が楽しい、嬉しい。わくわくする。今もまさおちゃんを見てとってもわくわくしてる!」
Mちゃんの目は、もう踊り出さんばかりのわくわくがあふれ出しそうだ。嬉しくて嬉しくてたまらない感じだ。
「そんな馬鹿な!この悲しみを知っていて、そんなに傷ついていているのに、それでも世界が楽しいなんて、そんなの、とんでもなく勇敢か、とんでもなく強いか、とんでもなくバカだよ。」
「その全部やよ!私は、とんでもなく勇敢で、とんでもなく強くて、とんでもなくバカなんよ。そしてそれはまさおちゃんも同じなんよ!」
Mちゃんの目を通じて感じられるMちゃんの世界は、僕が感じている世界と同じものだ。悲しくて、つらくて、いつも傷つかずにはおれない。Mちゃんは、僕と同じ位繊細なので、他の人では傷つかないようなことも繊細に感じ取って傷ついてしまう。それでもMちゃんは、あふれ出る豊かな愛をもって自分を癒し、世界を癒し、悲しみの先に喜びを見いだしている。見いだしているどころか、喜びに浸ってわくわくしている。嬉しさが止まらない。
「・・・そんなことが出来るなんて。。。」
「出来るんよ!そしてまさおちゃんも出来るんよ!私の目を見たらわかるでしょ?」
「・・・いやあ・・・信じられない・・・けど、そうなんだね。。。。」
「そうや!も~~~~、めっちゃわくわくする!『それ、どういうこと?』やろ?わけわからんやろ?でも、そうなんよ。だって、そうなんだもん!」
言葉だけ聞いていたら、なんのことやらわからない。でも二人は同じ光景を見ているからわかるのだ。
「まさおちゃんは『世界は悲しい』というフィルターで世界を見ていたから、世界がそう見えていた。でも今、それははずせることに気づいたんよ。悲しみもあるし、傷つくし、でも私は大丈夫だし、そして『世界は楽しい』んよ。」
『世界は楽しい』は、かつて某セッションで、僕が垣間見たインナーチャイルドのメッセージだ。僕が生まれてきた理由は『世界は楽しい』を世に伝えるため。あのときは一瞬垣間見ただけのそれが、今、Mちゃんを通じて、手を伸ばせばもう少しで届きそうなところまで見えてきた。
荒々しくそぎ落として無くしてしまうのではなく、鈍く固くなって感じないようにするのでもなく、繊細なまま世界を感じ、豊かな愛で受け止め、受け入れて、傷つくことはあっても愛に居続けることによってそれを癒しながら、喜びに満ちていく。Mちゃんが先行し、僕が創りたい世界がそこにある。
時が満ちるまでグウィンが守ってきた世界。固く閉ざしたまま、誰にも傷つけられないように守ってきた繊細な世界。今、時は到り、あふれる愛に護られて再び姿を現す時が近い。怒りや憎しみをもっても傷つけることは出来ない。傷つけたとしてもそれは癒され、もう壊されることはない。ようやく、ようやくだ。本当にようやく、僕は僕の世界の淵にたどりつくことが出来たんだ。
(終わり)