舞衣ちゃんセッション(その3)

※ この投稿は、2019年7月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

一瞬寝落ちして顔をあげたとき、世界が変わっていることに気がついた。

さっきまでの、色味の薄れた、輪郭のぼやけた世界はどこかに行ってしまっていた。

部屋の白い壁は、でこぼこした壁紙の貼られた硬さを持った四角い平面として僕らを囲んでいる。目の前でにこにこしている舞衣ちゃんは、輪郭がはっきりして、髪の毛の一本一本まで見えるようだ。僕の両足はフローリングの床にしっかりと乗っていて、床と足の裏の間の体温が温かい。

「おかえり」とにこにこ顔の舞衣ちゃんが言う。
「戻ってきたね。どんな感じ?」

「なんか『今ここ』って感じ。」
「すごいじゃん。そうやよ、『今ここ』しかないんだから。」

「『絶望』はどうなった?」
「ああ、そんなこともありましたね、って感じ」

これには舞衣ちゃんの方がびっくりして大笑いした。

「さっきまでと反対のこと言ってるやん。同じ人?『絶望』はないの?『距離感』は?」

「『絶望』はあるけど、それは過去のことで、今じゃない。『つながれなかった』かもしれないけど、それも終わった話で今は舞衣ちゃんと『つながっている』。真実は『今ここ』しかないから、『つながっている』のが真実だよね。」

「『距離感』は相手のハートとつながって感じるものだ。測るものじゃない。目の前にいる相手とハートでつながったとき、もしくはつながらなかったとき、それが結果的に距離感となるんであって、目の前にいる相手と一期一会の関係性の中でつくられるものだから、今、目の前にいない相手との距離感を云々してもしょうがない。」

それからしばらく、二人で「ビフォー」「アフター」の僕の変化について確認し合いながら盛り上がった。

セッション途中で舞衣ちゃんが手で何かをつかんで引き抜く動作をしたのは、僕の中の「絶望」や「悲しみ」があまりに深いので、言葉で癒すのは難しいと感じて、それ自体を「引き抜く」という「ヒーリング」をしたのだそうだ。論理的には説明不能だが、結果、過去の記憶には縛られなくなったのだから、これは効果があったということなのだろう。

今、これを書いていても、すがすがしさを感じている。自室で書いているのだが、部屋中に散乱している「モノ」がひとつひとつ存在感をもって「ある」という感じだ。そして僕自身も「地面に足をつけて」「今ここに存在している」。

肉体から遊離しがちだった魂が、身体という器にきっちり収まって、この身体でこの現実に働きかけられることをやろう、そんな気持ちになっている。

おかえり、魂。よろしく、肉体。

うまくいくことも、いかないことも、今ここで、この魂と肉体を使って出来ることを精一杯やろう。それが「生きる」ということだ。

(終わり)

舞衣ちゃんセッション