※ この投稿は、2019年8月にFacebookに投稿した記事の再掲です。
先日、ご縁の杜に行ったとき、ホールに掲げてあった本を何気なく手に取った。誕生日で性格、行動特性、能力等がわかるというもので「まあ、そういうの、あるよね~」と軽い気持ちで読んでいたら、女将がやってきて「わたしが計算してあげるよ~」と、「心相数」といわれる81種類ある3桁の数字を計算してくれた。
すると、みるみる女将の顔色が変わった。
「999・・・まさおちゃん、もう一度誕生日教えて。」
再度計算するも計算結果変わらず。
「まさおちゃん、そうなんだ・・・。会社員生活辛かったね・・・。」と女将が言う。目が白黒する僕。
「999」という心相数を持つ人は、あまりいないらしい。女将が出会った「999」の人は、僕で2人目だそうだ。この数字の人は自分の「存在そのもの」で生きていくことが運命づけられている。言い方を変えると、人生において「成果」とか「結果」というのが伴わない。本の解説によると、人や組織の「守護神」的な存在、精神的支柱で、具体的に何かを為すとか、みなを率いるとかではなく、「ただ居る」ことで、人の支えになるのが運命である人とのこと。Doingはゼロで、Beingだけで勝負するといったところか。
なので、成果や結果を求められる会社で、僕がどれだけ辛かったのか。。。ということを女将は言ってくれたのだった。
そして実際そのとおりで、僕は会社員時代、プロジェクトというものをひとつも完遂出来なかったという思いがある。実際には、危機管理体制を構築したり、研修プログラムを作ったり、規程の制定、改廃などしているのだが、それは「決められたことをやった」に過ぎず、僕の中では「成果物」になっていない。会社退職の年も、大きなプロジェクトを2つ抱えていて、これを終わらせてから会社を辞めようと思っていたのだが、思い叶わず、プロジェクトを放り出す形で会社を辞めてしまったので「結局ひとつもプロジェクトを完遂出来なかったな」という思いが残っているのだ。
だが、この心相数の見方によれば、僕はもともと成果や結果を出すことが人生の目的に入っていない人で、ただただ「自分の存在そのもの」で人を精神的に支える人だということになる。
図らずもそれは、僕がやりたいこと、なりたい自分と一致している。僕が何かを為したい訳ではない。僕はただ苦しんでいる人や打ちひしがれている人の支えや慰めになりたい、ただそれだけなのだから。
「まさおちゃんが、自分の在り方を受け入れたときから、まさおちゃんの本当の人生が始まるんだね」と女将は言ってくれた。きっとそのとおりだろう。
「為す」のではなく「在る」こと。
僕が僕の存在そのものをどこまで受け止め、受け入れられるか。僕の天命は、そこにかかっている。