ハコミセラピー(その1)ラビング・プレゼンス②

※ この投稿は、2019年8月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

(ラビング・プレゼンス①からの続き)

この日のワークで気づいたことがあった。それはペアワークをすると、僕の意識はほとんど相手の方に行っているということだ。相手が何を感じているのか、相手が何を望んでいるのか、相手はどのような人なのか。自分のことにはとんと意識が向いていない。

他の参加者は、嬉しかったやら、ほっとしたやら、もっと近寄って欲しいやら、勇気づけられたやら、自分自身が感じていることもシェアリングで述べるのだが、僕の場合、そのとき自分がどうなのか?さっぱりわからない。

なので、スタッフから改めて「自分の内側から湧き上がってきたもの」と問われたとき「何もない」というのは、そのペアワークのときだけの話ではない、少なくとも今日一日を通して、自分の特徴、または傾向だとわかった。

思考は働いていない。意識は今ここにあり、確かにペアの方と共にいる。評価もジャッジもしていない。ただ相手から受け取ったものを感じてそれを言語にしている。が、自分の内側に意識を向けたとき「空っぽ」なのだ。

感情を止めているのだろうか?
そういう感じはない。無理もしていないし、力みもない。

・・・・・・

「言語化出来ないだけかもしれませんよね。」

あとで質問したとき、講師が言った。

「無理に言語化する必要もありませんから。」

・・・・・・

実際、この「空っぽ」の状態は、自分がカウンセラーをするとき、セッションでは役に立つ。予断を持たないし、ジャッジも評価もしない。自分がどう見られたいといった気持ちも湧き上がらないから、常にクライアントと共にいられる。

これがいわゆる「透明な鏡」なのかもしれない、と今まではいいように解釈していたのだが、もしかするとそれは勘違いで「空っぽの鏡」だったのかもしれない、と考えると少し不安になる。

「自分の感情がわからない」ということを昨年しばらくテーマにしていたが、関係があるかもしれない。感情は24時間365日動いているという。ただ、それを感じ取れない、感情に受容体とでも言えるものがあるとすれば、その受容体が故障しているのかもしれない。

・・・頭であれこれ考えてもどうなるものではないことは学習済だ。「自分の内側を感じたときどうなのか。」しばらくテーマにしてみよう。