怒りの子ども(その2)

※ この投稿は、2019年10月にFacebookに投稿した記事の再掲です。

僕の首にからまる2本の手。
これに気づいたときはさすがにびっくりした。

自分の網膜には何も映っていない。
しかし、はっきりとイメージされる。
そして首が絞まった感じもリアルだ。

手は、ひじから先だけが見えていて、首を絞めている手が誰の手なのかはわからない。

「舞衣ちゃん、両手で首を絞められているよ、僕。」

舞衣ちゃんは表情一つ変えずに訊いた。

「で、まさおちゃんはそれでどう感じているの?」

「・・・ん~、諦めてる。僕の首を絞めている相手は、僕に対する誤解か、相手自身の思い込みで僕を恨んでいる。僕からすれば、それは誤解だけど、自分が死んで彼の気持ちが晴れるならいいのかなぁ、と抵抗する気をなくしている。」

「・・・そうやって、自分のニーズを切り捨ててきたんだね?」

え?
言われている意味がわからなかった。

自分のニーズ・・・。

生き延びようとすること。
絞めている2本の手をふりほどいて自分の命を守ること。
誤解を解いて双方が生き残ること。
自分自身の考えの正当性を主張すること。

そう考えても「ああ、でも面倒くさい。自分が諦めた方が楽だ。」という考えがすぐに浮かんでくる。

そうかあ・・・。
そうやって、僕は人生を何度も諦めてきた。
自分が諦めるのが一番簡単だったんだ。

争うのは嫌だったし
自分を通すのも、尊大な感じがして嫌だった。
そもそもそんなに自分自身に自信もなかった。

なのに、何度も諦めて、何度も生まれ変わってきた。
何のため?
諦めた人生を取り戻すため。
諦めたために出来なかった自分の人生の目的を果たすため。

そうか。
今生こそは諦めずにやるために生まれ直してきたんだ。

しかし・・・。

「ところで、小さな子どもはどうしてる?」
と舞衣ちゃんが言った。

すっかり忘れていた。
自分の中の小さな子どもを見た。

子どもは初めて僕の方に顔を向けていた。

子どもの両眼は、炎のように赤く見開き、
涙を流し、唇を噛みしめながら、
怒りに燃えて、僕を睨んでいた。

(その3に続く)